大橋拓文著『囲碁AI時代の新布石法』を読了したので、レビューを掲載します。

 

本書は、2017年7月31日初版第一刷発行、著者は囲碁AIに詳しいプロ棋士の大橋拓文六段です。

まず本書の内容をざっくばらんに説明するために前書きとプロローグの文章を一部引用します。

 

 

前書きより

 

(前略)

みなさんは『新布石法』という本をご存じでしょうか?昭和初期に呉清源先生と木谷実先生が打ち出した新布石を安永一先生が体型化したのが『新布石法』というベストセラーです。新布石というのはそれまで三線中心だった布石から脱却し、スピードと勢力重視、四線以上を主体として組み立てた布石のことです。時には奇抜なまでの空中戦を演じて囲碁界をアッと言わせました。

 

(中略)

 

本書では、囲碁AIがもたらした新たな視点で新布石を見直し、融合を試みました。囲碁AIは一日に何万局も打って学習することができます。囲碁AIの後を追いかけていては、追いつくことはできません。囲碁AIの発想を取り入れつつ、想像力を使って、進化の100年先を行くような発想をすることが、現代の私たちに求められていることだと思います。

2017年は囲碁の歴史において特筆される年になるでしょう。読者のみなさんも、囲碁の進化を実感していただければ幸いです。

 

 

 

 

プロローグより

 

☆ストーリーからの脱却

 

この三々は私たち、プロをはじめとした人間の打ち手に大きな衝撃を与えました。なぜなら、私たち人間は囲碁をストーリーで考え、ストーリーの一貫性を重視して打っているからです。黒△などと石を四線に配置するときは、中央重視のストーリーを描いているため、三々は選択肢として考えもしないのです。

この碁は、「囲碁をストーリーで考えるという概念」にとらわれていた私を解き放ってくれたのです。と同時に、自由な発想で碁を打っていた頃―初心―を思い出させてくれました。

そしてこのタイミングで「新布石法」をもう一度見直してみようと思ったのです。

 

☆「囲碁AI時代の新布石法」

 

本書の前半ではより実用的な布石を、後半ではより奇抜な布石を解説します。全体的な視点が最も大事ですが、みなさんが実戦で打ちやすいように、部分的な変化も丁寧に説明してあります。

これらの布石で、ストーリーや一貫性にとらわれない「盤面全体の視点」や「巧みなバランス感覚」そんな感性を磨いてください。そしてなによりも、自由な発想の囲碁を楽しんでいただければと思います。

 

 

 

さて、本書の内容をおおざっぱに把握いただけたでしょうか。

で、今回の私のお話のテーマは、「物語における伏線回収」です。

つまり、「人間はストーリーから脱却可能なのか?」「むしろ囲碁AIはストーリーから脱却しているのか?」という問題です。

今回は本書とともにこのテーマを考察していきます。

 

 

まず伏線について触れていきます。

物語を紡ぐ人間だと実感できることなのですが、実は伏線回収を作る方法は大きく分けて「2種類」あります。

 

一つは、「プロット(話の大枠)に対して、伏線をちりばめておき、計画的にそれを回収しながら物語を進める」方法です。

これは物語の基本骨格を作るためによく使われる手法です。

わかりやすい例を挙げるなら、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』でしょう。

※公式サイトより

 

12話のうち、3話ごとに一段落し、主人公まどかのスタンスが少しずつ変わっていきます。魔法少女への憧れ、魔法少女としての死の恐怖、魔法少女の現実への直面、そして魔法少女としての救い。

伏線を至る所にちりばめ、それを効果的に回収し、観る者に衝撃と感動を与えました。

プロットから仕掛けが施されている模範的な作品と言えるでしょう。

 

 

もう一つは、「物語を進めながら、存在する出来事を(強制的に)伏線として扱い、回収する」方法です。

例えば、少年マンガの人気投票で一位になったために、すでに退場したキャラクターが再登場することになるパターンが、典型例と言えるでしょう。

 

有名どころだと、ライトノベルである、電撃文庫の『とある魔術の禁書目録(インデックス)』に対する『とある科学の超電磁砲(レールガン)』が良い例ですね。『禁書目録』において、御坂美琴というキャラクターが人気を博したため、御坂美琴を主人公に据えた物語が作られました。それが『超電磁砲』です。

※公式サイトより

 

このような場合、『禁書目録』における物語(すでに存在する物語)から設定や伏線を抽出すると同時に、『禁書目録』における伏線になるように『超電磁砲』の物語を紡ぐ必要があります。伏線の存在は既出でも新規でも構いません。元々のプロット上では存在しない伏線作成・回収が必要となるわけです。

 

 

ここまで伏線を軸にお話ししてきましたが、物語を軸に据えて言い換えるなら、「準備してその通りに物語を展開していく」のか、それとも「前に進みながら手元にある素材を元に(予定とは異なる)物語を展開していく」のか、と言えます。

どちらもよく使われる手法であり、あくまでこれは「人間」のお話なのです。「AI」が関わらないお話です。

 

 

 

さて、改めて引用しますが…

 

プロローグより

 

☆ストーリーからの脱却

 

この三々は私たち、プロをはじめとした人間の打ち手に大きな衝撃を与えました。なぜなら、私たち人間は囲碁をストーリーで考え、ストーリーの一貫性を重視して打っているからです。黒△などと石を四線に配置するときは、中央重視のストーリーを描いているため、三々は選択肢として考えもしないのです。

この碁は、「囲碁をストーリーで考えるという概念」にとらわれていた私を解き放ってくれたのです。と同時に、自由な発想で碁を打っていた頃―初心―を思い出させてくれました。

そしてこのタイミングで「新布石法」をもう一度見直してみようと思ったのです。

 

 

 

これは物語を「半分(前者)」でしか語っていません。物語は決して最初から「思い通り」に進むわけではありません

 

とはいえ、物語をそのまま囲碁に適用するのはどうなのか?と疑問に思う方もいるでしょう。

では、この概念を囲碁の目線で見てみましょう。

 

 

 

前半の第三章で取り上げられている五の五のお話に付随して語られている目外しのお話がわかりやすい例なので、ここで取り上げます。(先にまだ本書を読んでいない方向けの簡単な前説明を加えます)

【図1】五の五からのシマリは、通常の小目の一間ジマリと比較して一路下に寄っているため、右辺における力関係に寄与しやすい形です。

 

【図2】そのため、白1とワリウチを打つのは危険です。黒2とツメられて白3とヒラキを打つと、黒の勢力圏(黒石が多いところ)で戦うことになります。これでは右上隅がそのまま巨大な黒地になっても文句は言えません。

 

(ここから本書より図を引用してます。ただし文章はブログの流れに従い変更してます。)

【図3】目外しに対するカカリは高目の位置にカカる手が有名ですが、黒2のツケから右辺が巨大な黒の勢力圏となります(なお引用元において、本図は簡明策として示されている図です)。このように五の五のシマリが生きるように右辺を立体的な勢力圏とすることが、この打ち方の基本戦略(基本方針)となります。

※黒6は白7の一路上。

 

【図4】ただし、ボウシにカカリを打つと、隅が大きいため隅に陣地を確保する手を選ぶことがほとんどです。右辺に前図のような立体感はありません。これは元々の基本戦略からやや外れた手(非基本戦略の手)となりますが、相手の手に応じた自然な手です。

 

 

ここで図3, 図4を比較してみます。

図3では、「元からあるプロット通りに伏線を回収」してます。

図4では、目外しの特性を踏まえて「予定とは異なる方向性で伏線を回収」してます。

 

伏線回収の観点だと分かりづらい人が多いかと思いますので、物語で言い換えます。

図3では、「元々準備した基本戦略通りに物語を展開」しています。

図4では、「手を進めながら、目外しの持つ特性を元に(基本戦略とは異なる)物語を展開」しています。

 

 

本書では、このような「基本戦略と非基本的戦略へのシフト」の例がたくさん述べられています。ここで述べられている実用的な布石は、基本戦略から逸れる可能性が高いがゆえに「非基本戦略への対応力」が求められやすい側面があります。

 

せっかくなので、別の例として三連星のお話も出してみましょう。(※私なりの解釈が少々含まれます)

【図5】三連星とは右辺に五間幅を二つ作る戦術に対して使われる用語です。

 

【図6】この幅の中で相手の石を重複させ、利得を得ること。これが基本戦略となります。この場合は下辺の陣地と右上からの中央への展開、という二つの利得を得ています。

 

【図7】一方で、このように右辺の幅をそのまま大きく広げる考え方もあります。白としてはこの右辺に土足で入る気持ちにはなれません。武宮九段の大模様のイメージがある方は三連星=大模様という発想に至るでしょう。しかし、この展開では白が右辺に入る必要はありません。白は右上+右下+これから左辺に作る陣地で右辺から中央にかけての黒地に相当すれば良いからです。一方で黒側としても白石の多い左辺で戦う力があり、かつ右辺に被害を及ばせない自信があればこのような戦略もあるでしょう。つまり、これが三連星における非基本戦略となります。私としては黒を持つのは怖い限りですが(笑)。

 

ということで、三連星でも同様のことが言えました。

 

 

以上のような内容が憶測ではないか、と思われる方もいるかも知れませんが、これは本書の後半にて文章でも述べられていることです。

 

 

囲碁AI時代の新布石法の、私の実戦で成功した例をいくつかお見せしたいと思います。

 

(中略)

 

ここでなぜいきなり白番での布石を取り上げたかと言いますと、

 

新布石はなかなかセオリー通りに進行しない

 

つまり

 

応用力が試される

 

そこで

 

白番での新布石の方が、運用が難しい分、考え方が浮き彫りになる

 

(『囲碁AI時代の新布石法』p172より)

 

 

セオリー通り→基本戦略

応用力、考え方→非基本戦略への対応

と置き換えれば、そのまんまここまでのお話です。

なお、新布石というのは「AIの実践する(人間的には新しい)布石感覚」だと解釈するのが文脈的に妥当かと思います。

 

 

少し視点を変えまして……

この「基本戦略と非基本戦略への対応」を時間という側面で見てみると、基本戦略は時間を用いずに進めやすい一方で、非基本戦略は可能性が膨大なため大量の時間を投与する必要が出てきます。それだと基本戦略通りに打ちやすい戦略の方が採用しやすいですよね(特にできるだけ時間消費を減らしたいならば)。だからこそ、三連星や中国流などのシステム的に処理できる(基本戦略通りに処理しやすい)戦略が採用されやすいのでしょう。

 

ここで気をつけないといけないのは、「物語を見る側にとっては、どちらも同じ『予定調和』に見えること」です。本書での言葉を使うなら「どちらの物語も『一貫』して見える」のです。

先ほど示した図3も図4もある程度確立されているため、元々のプロットとして組み込まれているように描かれています(実際に読んでみると分かります)。図3は基本戦略通りに打ったパターン、図4は地に甘いカカリを誘発して確定地を取りに行くパターン。どちらもこの戦術の「予定調和」です

 

でも、戦略を1から組み立てることを想定してみてください。

基本戦略の軸に囚われていたら、図4は到底思い浮かばない発想です。

 

この「『予定調和』の錯覚」が著者の「ストーリーからの脱却」という誤解を生むきっかけになったのではないか、と私は思います。

マンガでもアニメでも小説でも、受け手側にとっては「『予定調和』のストーリー」かもしれません。でも、完全に「プロット通り」で済んでいる物語はかなり稀です。予定を変更して、伏線回収の場所を変更して物語の行方を変えたり、新たに伏線として扱い、スピンオフを作ったりしてます。

 

話は変わりますが……、

AIの対局が、人間同士の対局と同様の感動を生むのか、というテーマがあります。

人間同士には人間同士の魅力があり、AIにはそれがない、というのが大半の意見でしょう。

しかしこれは「AIの思考過程がブラックボックス」であるがゆえに、人は「AIの生む物語」をとらえられないだけでしょう。

通常の対局では、解説者が対局者の思考過程や気持ちをある程度想像でき、観覧者に提示します。そこから「物語」が膨らむことで、人に感動をもたらしています。

でも、囲碁AIの思考は闇の中にあるため、それを想像することができていません。だからこそ、無機質で感じられるのでしょう。

AIに「物語」がないわけではありません。それを簡単に読み取らせてくれない囲碁AIと読み取れない人間がいるだけです。

 

今回、基本戦略と非基本戦略という区別をしましたが、これはあくまで便宜的なものです。人間にとって解釈しやすいようにしているに過ぎません。たとえば序盤が発達していない江戸時代の碁打ちが21世紀に入ってからの囲碁を見たらいかがでしょう?余裕がある方は想像してみることをお勧めします。

 

 

さて、ここまで「ストーリー」に対する誤認問題を長々と述べてきましたが、本書はものすごく良く出来ています

紹介文も上述のように、本文をそのまま引用したくなるレベルです(だからそのまま引用してます)。

構成もしっかりしていて、本筋の証明に必要な情報を幅広く詰め込まれています。

内容も大枠のところだけでなく、細かいところまで触れ、読者が読んだ内容を実戦で使えるように工夫されてます。

 

しかしながら、ここまで述べてきたとおり「結論」とすべきところで今一歩足りない側面があります。

本当にここだけが残念なところで、それがこの本の主軸だからこそあまりにも惜しい。勿体ない。

ああ、これさえクリアできていれば、きっと永久に語り継がれる「名著」だったはずなのに……。

 

 

まあ、出版されたものは仕方ありません。

本著の経験を元に、大橋拓文氏が次に出すであろう「(本物の)名著」に心の底から期待します。